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LOVEBITES:asamiの眩い輝き(別角度からみた『GLORY, GLORY TO THE WORLD』)
LOVEBITES:asamiの眩い輝き(別角度からみた『GLORY, GLORY TO THE WORLD』)
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LOVEBITESのボーカルasamiは、このほどリリースされた『GLORY, GLORY TO THE WORLD』の完全盤(以下「『GLORY』」)にて、ほとんど信じられないような魔法をやってのけている。asamiは驚くべきことに、LOVEBITESのこれまでの作品におけるソウルフルなリズムとブルーズ風の歌唱スタイルを消し去っている。これはまさに目覚ましい魔法である。asamiは、喉を精一杯使って歌うヘビーメタルの歌い手に変貌するのだ。
LOVEBITESは初期のインタビューで、リズム&ブルーズとソウルミュージックに基礎を置くasamiの歌声によって、バンドのヘビーメタルのサウンドにもたらされるコントラストについて語っている。これは、BAND-MAIDがメイドの衣装の柔和性とその音楽の凶暴性を前にして感じる認知的不協和について説明する際に用いた、「ギャップ」というコンセプトに近い。しかし、LOVEBITESの場合、その「ギャップ」は純粋に音楽的な意味合いを持つものだ。
現在入手困難となっている『The Lovebites EP』のリリース時に幸運にもLOVEBITESに出会えていた読者にとっては、asamiの歌声はまさに衝撃だったはずだ。「Don’t Bite The Dust」の冒頭の凶暴なギターリフに続いて、サラ・ヴォーンに匹敵するほど明瞭で鐘のよう、そしてゴージャスなメゾソプラノの歌声が聞こえてくる。歌詞(ちなみに作詞はまさに天才的な作曲家/ベーシストのmihoが担当している)では、心の底からの絶望が表現されている。
The rain keeps falling and falling(雨がどんどん降ってくる)
I am crying all alone again(私はまた独り泣いている)
Time is passing me by(時間が過ぎていく)
Not knowing what it’s gonna be.(将来が見通せないまま。)
このmihoの歌詞はテンポを落とせば、デューク・エリントンのまさに定番曲で上述のサラ・ヴォーンが最も素朴かつ情熱的に歌い上げる「Solitude」に挿入してもなんらおかしくないだろう。
mihoがこの激しい苦痛を表現するために書いた音楽は、最も野蛮性に溢れるヘビーメタルだった。しかし、mihoの歌詞の中で表現されている感情は、まさに人間が根幹的に持つものだった。怒りがありつつ、同時に深い脆さも孕んでいたからだ。
そしてasamiは、メタルの野蛮性と人間の脆さという2つの全く異なる世界を糸で縫い合わせ、人生の苦難に苛まれている偽りのない女性像を描き上げることに成功したのだ。asamiの歌声のトーンはまさに驚くべきほどピュアで、それは『The Lovebites EP』の4曲とその後リリースされた作品を聴くと明らかに伝わってきた。「Scream for Me」の冒頭、asamiは深くしっかりとした胸声を披露しており、そこには神聖な純粋性と冒涜的なスリルが共存していた。
しかしasamiの歌声には、そのトーンのピュアさを引き立てる、あと2つの特徴があった。
asamiの歌声には、トーンのピュアさに加えて、顕著なパワーがある。ヘビーメタルバンドのボーカルなら誰でもパワフルな歌声を持っていて当然と思われるかもしれないが、実際には音程を保ちながら歌声を強く響かせることを苦手とするボーカルは数多くいる。
それに対してasamiが解き放つ「yeeaahh」は、その長さに関しても気の散るビブラートに逃げずに音程を保つ能力に関しても伝説的であり、それは特に、ゆっくり、しかし正確にコントロールしながら、1オクターブ上行する際に顕著だ。そして、こうした「yeeaahh」は常に、文字通り常に、スタジオ録音よりステージでのパフォーマンスにおいて、はるかに印象深い。(もしLOVEBITESのライブのCD、DVD、およびブルーレイを全てまだ集めていないなら、今後の人生を含めてこれ以上のものは視聴できないというくらい素晴らしい部類に入るライブパフォーマンスを視聴するチャンスを逃していることになる。)
asamiの歌声の3つ目の顕著な特徴とは、様々な感情をパッションを込めて表現できることだ。彼女はかつて、自身の英語力について、「自分は完璧ではない」と言っていたが、どの単語を強調すべきか、そして各単語に関していかに歌声をくねらせることで最も強い渇望、最も気が狂いそうになる葛藤、または最も心躍る喜びを表現できるかを、生得的に理解しているようだ。どちらも『Awakening From Abyss』収録の「Liar」や「Edge of the World」などの作品からは、このように感情を鋭く表現できるasamiの初期の歩みを見て取ることができる。
ということで、asamiの真にユニークな歌声の決定的な特徴として、ピュア、パワフル、そしてパッションを挙げたが、それはやや単純化しすぎた言い方になる。asamiには、これら「3つのP」には回収しきれない魅力があるのだ。
自身の歌声を深く理解し、同時にその理解と双璧をなすかのように高い技術を持っている歌い手の中には、音程、響き、そして声量などを巧みに操って、それぞれの歌声の本来のトーンの上に追加で「色」を被せるという稀有な能力を持つ歌い手がいる。こうした様々な「色」を描写する形容詞には、暗い、明るい、開放的、豊か、詰まった、などの単語がある。
ギタリストの世界では、こうした「色」は聖杯的存在となっている(でもこれについてギタリストに尋ねるのはよしてほしい。話が止まらなくなるからだ)。エリック・クラプトンのいわゆる「女性的」トーン(それに「祝祭的」トーンや「ブラウニー的」トーンなど)というテーマに関しては、ギターに関する掲示板で永遠に議論が行われている。
しかしクラプトンには、トーンや色を変えようと思えば、違うメーカーのギターを使ったり、違う製造年のギターを使ったり、違うマグネティックピックアップを使ったり、違うアンプを使ったり、トグルスイッチを切り替えたり、違うピックアタックを使ったりなど、様々な手段があった。それに対して、asamiには自身の歌声しかない。その状態で、彼女の根幹的な知性を武器に、その歌声をコントロールして、LOVEBITESの作品に様々な彩りを与える色を生み出しているのだ。
asamiは、様々な色のトーンで作品を彩っていく能力を、これまで常に披露してきた。しかし、『GLORY』ではそれまでとははるかに超える次元でその力が発揮されている。それまでのリリースでのasamiの歌声の色のレパートリーは「虹の7色」、つまり赤、橙、黄、緑、青、藍、そして紫くらいであったが、『GLORY』ではそれが、ほんの数例を挙げるとすると珊瑚色、テラコッタ色、蜜柑色、ターコイズブルー、水色、またはマゼンダ色など、これらの間の無数の中間色の違いと同じくらい、明確に豊かになっているのだ。
asamiは、『GLORY』の各収録曲と「Winds of Transylvania」で、次々に新たな色のトーンを披露している。これら5曲のasamiのパフォーマンスがもたらす興奮は、どれほど大げさに言っても嘘にならないほどのものだ。「7」
初期の録音のasamiの歌声は、バターのようだった。彼女の歌声は明瞭で滑らかだったのだ。しかし、バターで炒めても食材の風味が大きく変わることはないように、彼女の歌声には楽曲の響きを大きく変える要素は一切なかった。しかし『GLORY』では、asamiの声は胡麻油のような複雑さを呈している。胡麻油で炒めた食材は、バターで炒めた食材とは異なり、風味、食感、さらには見た目が変わる。そしてもちろん、栄養価まで上がる。
asamiがそれまでのリリースで使っていた色のトーンと最も似た声で歌っているのは、おそらく第1曲目の「GLORY, GLORY TO THE WORLD」だ。しかし、1つ例を取るなら、「Burden Of Time」はかなり単純なアプローチの歌声で色も原色的だが、「GLORY, GLORY TO THE WORLD」ではむしろバーントシエナに近いような暗い色味になっている。バーントシエナはしばしば暖炉的な色味と言われており、より複雑でより光沢があり、より土気のある色だ。この作品のasamiの歌声からは、特に歌詞のポジティブなメッセージを明確に伝えようと彼女が苦心している様子が伝わってくるようなサビの部分において、まさにバーントシエナ的な感覚が得られる。
「8」
しかし、asamiが聴き手に本当の意味で衝撃を与えるのは、その次の作品である「NO TIME TO HESITATE」だ。それまでどの曲でも全く披露したことがない色の歌声を、彼女はこの作品で使っているのだ。miyakoの混沌としてアナーキスト的な音楽に乗せてasamiが書いた冷酷な歌詞は、全く新たな色の歌声を生み出す判断を要求している。
What do you want from me?(私から何が欲しいの?)
What do you want tonight?(今夜何が欲しいの?)
I don’t care too much about tomorrow.(明日のことはほとんどどうでもいい。)
彼女がこれらの歌詞を口にする際、その歌声には間違いなくある種の緊張感があるが、困難に立ち向かう姿勢も同時に感じられる。彼女の歌声を聴いて想起されるのは、ペロポネソス戦争でスパルタを相手にアテネの重装歩兵が振りかざした鎧と盾の表面を覆っていた青銅の鋭さ、輝き、そして力強さだ。
asamiの感情がクライマックスに達するのは、「考える前に叫んで」と歌うところだ。彼女の歌声は、まさに限界に達している女性の歌声に聞こえる。そして、彼女は「unnecessary」の第3音節にアクセントを置いて歌っている。この単語は標準英語では第2音節にアクセントが置かれるが、彼女の歌い方はこの作品にはぴったりであり、どこまでもチャーミングだ。
「9」
こうしたasamiの新たなより荒々しい一面がさらに追及されているのが、「Paranoia」だ。この作品は作詞作曲の両方をasamiが担当しており、この作品も歌詞が残酷であるため、それに合わせた歌声が求められる。 彼女が扮するキャラクターは、混乱し、恐れおののき、ほとんど錯乱状態にある。長いオーケストラのイントロを聴き終わると、asamiは檻に入れられ脱出を試みている野生動物のような凶暴さをもって歌い始める。しかし、asamiのパフォーマンスがある種の絶頂に達するのは、Cメロにおいてだ。
Angel or a demon(天使か悪魔か)
Good or bloody evil(善か血塗られた悪か)
Pleasure or a pain(喜びか苦痛か)
Responsive impulses(敏感な衝動)
Breakdown or a cure(崩壊か癒しか)
A hatred or a love(憎しみか愛か)
A chaos or silent peace(混沌か静かな平和か)
Confusion, disorder(混乱、無秩序)
彼女は、これらの単語をダイヤモンドのような明瞭さで歌っている。しかし声量がわずかに変化している。これによって、ほとんど圧倒されてしまうような強度を持つ脅しが、囁きのように加わる。いや、囁きではなく、明確に脅しとわかる形で加わってくる。Pantoneの色見本には、それに対応する色はないかもしれない。あるとすればカーボンブラックだろうか。LOVEBITESが、そのシンデレラのような白いお姫様の衣装で、「Paranoid」のように錯乱して取り乱した曲を歌う姿はなかなか想像できないものだ。
「10」
「Dystopia Symphony」では、asamiは再びより洗練されたトーンを披露している。しかし彼女は、そこに間違いなく激烈な切迫感を重ね合わせている。さらに彼女は、この作品の様々な部分で、パワーの変化を感じさせることなく、「頭」声と「胸」声を切り替えることに成功している。これこそ、asamiの歌声が最も黄金色に輝く瞬間だ。パッション、ピュアさ、そしてパワーを一気に披露してくれるからだ。
「11」
『GLORY』の一部の盤に付属するボーナスCDの「Winds of Transylvania」に関しては、その風はかなり凍てつく風のようだ。この作品も、asamiが作詞作曲の両方を担当しており、息をのむほどの暴力性を孕む曲になっている。asamiが扮するキャラクターは、血に飢えた風の力を前にして、ほとんど抑制が効かなくなるほど怒り狂っている。
「12」
『GLORY』では、他のメンバーも普段通りの素晴らしいパフォーマンスを見せている。harunaはこれまで通り、絶妙なアクセントや絶好のタイミングのロールを通して楽曲のパーカッションパートをさらに興味深いものにする能力で、聴き手を驚かせてくれる。mihoのベースさばきは獣のようだ。そして、miyakoとmidoriのソロはもはや簡単には区別できなくなっている。2人は、同様に混沌とし、同様にメロディックで、同様に魅惑的な演奏を披露できるようになっているのだ。
「13」
『GLORY』を担当したプロデューサー、エンジニア、およびアレンジャーは、複数のボーカルトラックをオーバーダブする必要はないと判断したようで、この点も言及するに値する。asamiの歌声がエフェクトやオーバーダブなどのエンハンスメントで変に飾られている箇所はほとんどなく、これこそasamiの歌声の正しい楽しみ方なのだ。
また、取り上げている5曲のうち2曲はasami自身が作詞作曲の両方を手がけていることも、言及するに値する。楽曲の仕上げの名手であるMaoは補助的に貢献する役回りをこなしているのだ。ファンには周知の事実であるが、mihoは長年にわたって、スラッシュメタルの高い作曲技術を有することを証明してきた。miyakoは常に、音楽史と音楽理論の高度な知識を持ち込んで、複雑かつ興味深い作品を書いてきた。midoriは、他と比べると多作ではないが、LOVEBITESがこれまで披露した中で最も激しくストンプを踊りたくなる部類の作品のいくつかを書いてきた。そしてドラムのharunaは、LOVEBITESの最も典型的な作品と言えるかもしれない「Bravehearted」を書いており、この作品は調整の中心音をずらしていく転調が特徴の魅惑的な定番曲に仕上がっている。
そして今、asamiが作曲活動を活発化させたことで、LOVEBITESは選択肢が多すぎて困るほど曲の書き手に恵まれた状態になっている。それによって、現在でも極めて多作なこのバンドのフルアルバムやライブ演奏の録画のリリース間隔が狭まることを願いたい。
「14」
最後に、asamiの歌声の驚くべき変化がもたらす1つの大きな懸念について書いておきたい。その懸念とは、asamiが精密な楽器のように用いている声帯に損傷が生じる危険性だ。必要になればネックを調整すればいいギターとは異なり、声帯は損傷の修復が簡単ではない。有名な例として、ドイツ人指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンは、将来有望な若いイタリア人ソプラノ・リリコだったカーティア・リッチャレッリを指導し、その歌声を完全に潰してしまった。カラヤンは、主にヴェルディのオペラにおいて、リッチャレッリに無理やりソプラノ・ドラマティコの役を押し付けた。彼女の歌声は、こうした役ができるほどには、また十分に成熟していなかった。その結果、彼女の声帯に損傷が生じてしまった。彼女のオペラ歌手としてのキャリアは、極めて短い時間で終わりを迎えた。
asamiは、元々から頭のいい歌い手であるように思われる。彼女は自分の声の使い方をはっきりとわかっており、LOVEBITESの楽曲の容赦のないスラッシュメタルのテンポを歌い上げるに当たって、正確な呼吸法、「簡便音節」の使用、声量のコントロールなどの技を使うことができる。このように、自身の歌声について生得的に理解していることが明らかな彼女であれば、自身の歌声を損ねてしまうかもしれないとんでもない何らかの歌い方に手を出す可能性は低いだろう。
「15」
asamiのように自分自身を再発明していったミュージシャンは、ロックの世界には他にもいる。日本のハードロックとメタルの世界では、Unlucky Morpheusの巨匠FUKIはほとんど想像すらできないような創造力をもって七変化の術を披露してくれる。BAND-MAIDの最近のリリース作品におけるパワフルかつ威圧的な彩姫は、同バンドのデビュー作『MAID IN JAPAN』の頃には誠実でチャーミングなポップのお姫様だった彼女と同一人物であるなど想像もつかない。
しかし、asamiが『GLORY, GLORY TO THE WORLD』で成し遂げたことは、前人未到と言ってもいい領域にかなり近い。LOVEBITESのキャリアが絶頂期を迎えている今、asamiは自身の代名詞的存在であったリズムとブルーズのスタイルを失うというリスクを冒して、限界を知らないメタルのボーカルという混沌とした世界に足を踏み入れた。asamiは、危険を顧みないハイスピードレーサーになり、躊躇することなく次々と危険なカーブを駆け抜けているのだ。asamiの『GLORY, GLORY TO THE WORLD』でのパフォーマンスは、驚くべきものでセンセーショナル、そして何よりも衝撃的だ。 LOVEBITESは、素晴らしいバンドであり、素晴らしい音楽を届けてくれる。それは、asamiという真に素晴らしいボーカルを擁しているからに他ならない。
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GLORY, GLORY TO THE WORLD | ||||
1 | GLORY, GLORY TO THE WORLD | asami | midori/Mao | 6:24 |
2 | NO TIME TO HESITATE | asami | miyako | 4:12 |
3 | PARANOIA | asami | asami/Mao | 5:35 |
4 | DYSTOPIA SYMPHONY | asami | miyako | 6:42 |
WINDS OF TRANSYLVANIA | ||||
WINDS OF TRANSYLVANIA | asami | asami/Mao | 5:17 | |
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